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 戦後の大混乱の中でぶどう作り農家が自主的な組合を設立したのが昭和二十五年三月のこと、名称を南村山郡果樹組合連合会とし経済連傘下に入った。昭和三十年の市町村合併で郡制がなくなり「南村山果樹組合連合会」になる。

 初代組合長の高橋隆太郎氏(後に二代目熊次郎を襲名)の自宅事務所として借用し、デラウエアの生産を通し組合員の団結を計り努力してきた。

時代は貨車輸送からトラック輸送に代わり、それに対応して昭和三十八年事務所を国道13号線(後に道路バイバス工事のため現在は旧13号線となる)沿いに建設し現事務所に移るまで三十年間組合の拠点としての役割をはたした。ジベレリン処理によるデラウエアの種無し化にいち早く取り組み営利栽培の実績を上げ、昭和四十一年組合を法人化し現在の「南果連協同組合」となる

 時代の流れと共にデラウエア一本体制から組合員の生産する全品目を扱うようになり現在さくらんぼ デラぶどう 大粒ぶどう ワインぶどう 西洋梨 干柿の六つの専門部会と地区十一の組合を形成し本部の生産部長 販売部長 資材部長と常に連携をとりながら、厳しい時代の生き残りをかけて、安全・安心・高品質の果物生産をめざして組合員が一丸となって努力しているところである。

 

南果連の歩んできた道

南果連協同組合の理念

 私達の南果連協同組合は、今年法人化結成以来大きな節目の第40回目の誕生日を迎えました。この間先輩が築き上げた良き伝統を継承することは勿論、今年も全組合員の心の協調と生産に 対する前向きな創意工夫と新規技術導入、そして、極め細かな販売戦略を三本柱に掲げ、これらの 目標達成のため サクランボ部、大粒ぶどう部、西洋なし部、ワインぶどう部、干柿部の6つの専門部 が互いに自ら先進者等との研修を積み重ねるなど、技術の交流を図りながら生産資材の高騰など厳しい農業情勢の中ではあるが、大きな自立という二文字に農業の生き残りを賭けて努力することが私たち農業人としての責務であろう。組合員全員が山形県の持続性の高い農業生産方式の導入に関する認定証の取得、そして組合としてやまがた農産物安全、安心取組認証登録を得るなど、その他今消費者に最も関心のある安全、安心、高品質の果実の生産にトレサビリィティー(生産履歴の記帳)を初め5月1日から導入されるポジティブリスト制(全農薬に対する残留農薬の確認)そして、ドリフト(農薬の飛散防止)対策などの内容と必要性を専業農家を中心としている105名の全組合員に生産部を基となり周知徹底を図りながら今後とも消費者皆様とのさらなる信頼関係の構築に努める所存であります。